解放の時

日々の思いを

いかにもな宣伝文句

そろ◯ん塾の中には、宣伝文句として、

 

「~をやったら右脳が鍛えられる」

「京大生は、皆  ~を習っていた」

「 ~を習ったら受験に役立つ」

「今、~が見直されています」

「~は集中力を養います」

「頭の良し悪しは関係ありません」

 

なんてものがあるが、全くアテにならない。

的外れ。

そんなことを言ったら、世の中 皆、京大合格だ。

この そろ◯ん塾は、ただ単に集客したいだけ。

 

京大に入学した人のうち何人かが 偶然、昔 そろ◯んを習っていた、というだけであって、因果関係というものは、確かなものではない。

言ってはわるいが、世間一般的にランクが下の大学生の中にも、そろ◯んを習っていた人もいる。

 

実際に、私の身内に京大出身者がいるが、そろ◯ん を習ったことがない。

はっきり言って 元々頭が良かった。

ちなみに、私は頭が悪かった。

そもそもの脳が違う。

 

実際に、私は大人になってから、そろ◯ん塾に通っている小学生を、間近で見てきたが、すでに  その時点で 頭の良し悪し、向き不向きが歴然としていた。

 

・何も言わなくても勉強に取り組み結果を出す子どももいれば、取り組みはするが どうしても伸びない子ども

・集中力や勉強に対する興味関心の限界を感じる子ども

・勉強よりも他に力を発揮するものを見つけてあげるべき子ども

・そもそも手がかかるため、学習どころではない子ども

    などが沢山いる。

 

小学生に入学したばかりのお子さんがいらっしゃる親御さんは、習い事を何させようか?

と迷われた時、そろ◯ん塾の こういった宣伝文句は、不確かなものであることを注意してほしい。

 

あるいは、一度 試してみて、ダメだな、と思われたら、迷わず そろ◯ん塾というものを離れていただき、そこに子どもの成長を依存してほしくない。

 

これは、私が そろ◯ん塾で、多くの小学生を見てきた結果だ。

 

 

 

異性と付き合っていく上で大切なこと

異性と付き合っていく時、大切なことは 相手と価値観が同じであること、相手への思いやりと人間性だ。

 

その次は、私は おそらく 相手の家族のことだと思う。

 

私は 少し前に お付き合いしていた人がいた。

お別れした理由は、お付き合いしていた中で、徐々に価値観の違いが鮮明になっていたこと。これは、仕方がない部分であり、お互いに 話し合って その違いがハッキリした。

 

そして、相手の人間性に疑問をもったこと。

これについては ずいぶんと私も怒ったし、ガッカリさせられた。

この時点で、私の心が離れる決定打となった。

 

相手は 比較的 容姿に恵まれている方だったが、なんの魅力も感じなくなってしまった。

 

そして最終的な別れの理由は、相手の家族のことだ。

お付き合いしている相手の姉が、とんでもなく自己中心的な人間で、これまでに家族からも嫌われ、離れていかれるような人だった。

話をするのも、とんでもなく しんどくなるくらいで、一度 車に乗せてもらったことがあるが、普段は酔わないのに、その時は ひどく酔い、夜中に目が覚めてからも吐き気を催すくらいだった。

 

しかも、この姉は、お付き合いしていた相手と 共依存の関係にあるようなところがあり、物理的距離も近く、また 私たちのことに かなり口を出してくる人だった。

 

相手の目を見れば、どういう人か けっこう分かるものだ。

そんな目をしていた。

 

私は、この相手の姉に ひどく抵抗があり、会わないようにしていたが、最終的には こんな人が家族にいたら、とてもじゃないけど付き合えない! と悟った。

 

そのためお別れした。

今でも お別れして ホッとしている。

 

 

 

 

くず爺とバカボンさん

いよいよ新しい職場での初日を迎えた。

 

私の新しい職場は 高齢の人が多く、初日はオッサン二人と作業だった。

 

一人は 70歳過ぎてるのでは?という 白髪のベテランのオッサンで、とても気難しそうで、面倒見がよくない感じの人。会話も最初はあったものの、ほとんどしてこなくなった。

 

新人に全く教える気がない。

 

ある時、別の部署の責任者が こちらで使用している作業用機械についての不具合について、このオッサンにたずねてきたら、オッサンは自分は知らないと、アレコレ言い訳ばかり。

 

そして、作業も雑。私からしたら、それアカンやろ!という。

 

ある瞬間は、変な奇声を上げる時もあった。

 

説明するときも分かりにくくて、こちらはイライラする。

動きたがらないので実演することなく、言葉の断片で伝えようとするからだ。

 

また、私は仕事初日で何1つ分からないし、私がしたことでもないし、しかも怒るようなレベルの話ではないのにも関わらず、いきなり 私に対してゴチャゴチャとぶちキレてきた。

こちらもカチン!!ときて、あやうく言い返しそうになったが、やめた。

相手の顔を見るのもやめた。

 

作業終えてから、現場を出て更衣室まで行くときも、こちらは 「あ、もう終えるの?」という具合で、全く流れを教えてくれない。あわてて、付いていく感じ。

 

オッサンが帰るとき、こちらが「お疲れ様でした」と挨拶しても、こちらを見向きもせず無視して帰っていった。

 

こんな挨拶もしない、仕事が雑で動きたがらない、些細なことでキレる、言い訳する、新人には全く教える気がない、こんなオッサン  他の職場だったら、回りのメンバーから総攻撃食らって、クビだ。

このオッサンは早く辞めてほしい!

というか、置いといたらダメだって!

私の中で、この人のアダ名を「くず爺」と呼ぶことにした。

 

でも、他の部署の人たちは、廊下などで気持ちよく挨拶してくれる人が多い印象で、そこは良かった。

 

あともう一人のオッサンは、年齢はおそらく50代~60ぐらい?。

暇な時間があれば、作業機械の裏で、こちらに背を向けて ジーとしている人

。人と関わりたくないのか、考え事をしているのか不明。

この人も会話は無い人。

向こうからは一切面倒見てくれない。教えてもくれない。

ただ悪人ではない感じの人。

何か聞けば 短い言葉で教えてくれるので、先ほどのオッサンよりは助かった。

帰り際も、オッサンから「また明日もよろしくお願いします!」と言ってくれたので、先ほどのオッサンとは違う。

この人も、私の中で決めたアダ名は「バカボンさん」。ただ似ているから。

 

初日の作業相手はこんな様子だった。

 

まだ他にもメンバーがいるので、どんな人がいるのだろう?

不安だ。

 

 

 

いじめ、暴力、盗み

少年少女期に、 私は、いじめ、暴力、盗み の場面に遭遇している。

かなり身近にあったので考えさせられる。

 

私が思うに、一般論であるが、少年少女期のこれらの現象は、 加害児童の性格、発達程度、環境、両面から考えていかねばならないと思う。

 

例えば、本人の寂しさ、充足感の欠如、劣等感などのストレス、精神状態、それらは親の不適切な関わりとも関連しているだろうし、親や教師の 教育や指導力の欠落、環境設定にも起因していると思う。

 

いじめや暴力、盗みは絶対にしてはならない事だ。

だが、子ども当事者だけが悪いわけでもなく、その責任は保護者、教師にもある。

 

何がそうさせるのか?

人生の先輩である大人は、しっかりと見つめていく必要がある。

子どもの問題としてだけでなく、大人の問題としても捉えていく必要がある。

 

少年少女のお子さんがいらっしゃる保護者の方に伝えたい。

もし、今現在、お子さんが よそのお子さんに対して いじめ、暴力 、盗み を行っていたら、 それは 親の監督不届きでもある。

あらゆる角度から、お子さんへの関わり方、教育のあり方を、振り返っていただきたい。

 

また、いつでも誰にでも起こりうる事として、周りの大人は子どもの心に目配り、気配りを怠ってはならない。

 

私は、一生 子どもは作らない人間だが、私が児童期にあった経験から、いつも考えさせられている事の1つだ。

 

 

 

モラハラ教師に出会った

学校の教師による犯罪が、たびたび報道される。

 

こういうニュースを見るたびに、私が通った中学校にも、教育者として、その前に人として、ふさわしくない人間が何人かいたことを思い出す。

 

私は、比較的遅れて水疱瘡を患った。中学2年の時である。

調べたところ、罹患年齢は、ほとんどが9歳以下らしいが、私は13歳~14歳で患った。

 

当時の担任で、体育担当でもあった男性のY田は、私が休んでいる間に、クラスの生徒の前で、「◯◯は幼いなぁ」と言い放ったのだ。

私は、それを知って大変に傷付いた。

と同時に、案の定 私のことを そういう風に見ているのか、と納得した。

 

これは、クラスの同級生T己から伝え聞いた話だ。

そういうことを他の生徒の前で言うY田もY田だが、そんなことを不敵な笑みを浮かべて私に言ったT己もT己だ。

 

この教師は、体育教師ということもあったせいか、私のような元気のない人間は嫌いだったと思う。それは日々の言動からも よく分かっていた。

 

しかし、言ってよいことと悪いことがあるだろう。

 

また、当時の私は 分相応でないことに、運動部に所属していた。

その運動部の担当であった教師のHワは、学校中でも変り者として知れ渡っていた人間だ。

 

このHワは、はっきりと理由は覚えていないが、所属する生徒の、髪の毛の先っぽを、ライターで炙る という行動に出るような人間だった。

今の時代では考えられないことだ。

 

私は ずいぶん時間が経過した今でも、当時の学校生活とともに思い出すと、とても心苦しい思いをする。

 

私は、当時 進学塾にも通っていたが、塾の講師でさえ ひどい有り様だった。

割愛させてはいただくが、今でも苦しい思い出だ。

 

彼らは、その後 どんな人生を歩んだのだろう。

 

私は 彼らを軽蔑する。

そして、哀れに思う。

 

 

体罰を受けて分かったこと

私は過去に、長期に渡り、体罰を受け続けたことがある。

ちなみに、他人からだ。

 

体罰は、その人を根本的に変えることはできない。

変えれたとしても一時的なものだ。

体罰を受ける側は、恐怖心のため、一時的に変わざるをえないのだ。

しかし、人というものは、そんな単純なものではない。

そして、体罰を受けた人は、深く傷つき、憎しみを抱く。

そもそも、体罰を用いなくても、人を変えることはできる。

 

なぜ体罰を行うかというと、結果を早く出したいがためだ。

そして、永続的に変わると思っているからだ。

そして、人の心なんて関係ない、と思っているからだ。

 

体罰を行う指導者は、自ら、指導する力、技量がありません、と言っているようなものだ。

だが、体罰を行うと、得てして、一時的ではあるが結果が出てしまい、指導者は、自らに指導力があるのだ、と思い込んでしまう。

そこが落とし穴だ。

 

私は、今でも 当時の人間が夢に出てくる。

そして、夢の中で服従している。

その空間が異常極まりない。

夢から目が覚めたら、いまだに、あの人間たちに恐れおののいている自分がいることに気付かされて、悔しい思いをしている。

 

近年は、急速に 体罰に対して風当たりが厳しい世の中になってきていることに、ホッとしてはいる。

 

あの人間たちは、今頃 どうしているのだろうか。

 

その後、どこかで同じようなことを繰り返しているのだろうか。

 

それとも、毒針を隠したまま、笑顔を振りまいて、人生を楽しんでいるのだろうか。

 

時々、街で あの人間たちに そっくりな人を見かけると、本人ではないのか?と気になり、確認してしまう自分がいる。

 

万が一、本人に出会ったら、私は どうするだろう?

 

きっと、私は 張り裂けそうな、胸をえぐり取られそうな思いを隠しながら、愛想よく振る舞うだろう。

 

そして、また、 あの人間たちの夢を見るのだろう。

 

 

こんな人たちとは付き合いたくない!

口では 自信満々に、キレイ事や、分かっていることを並べていても、

本心は、憎しみ、妬み、プライド、偏見 、貪欲さ、怠慢、他者依存、が渦巻いていて、自己中心的で、周りが見えていない、といった人に出会った。

こういう人は極めて厄介だ。

私がお付き合いした人と、その人の姉が そうであった。

 

まず、お付き合いした人の姉。

 

とことんクレームをつける。

ルールだったとしても、自分の意にそわなければ、相手をにらみつけ、ネチネチと不満を言う。

ときに、ルールそのものを変更させるまでする。

 

エレベーターに乗る時に、降りる人が大勢いるのに乗ろうとする。

 

2人になると、終始自分の話ばかり。

 

自分と敵対している人が 癌の病に倒れた事についても、その人の行いが悪いから そうなった、と言う。バチが当たったのだ、と。

 

ひたすら、自己中心的な発言を繰り出す。

ふてぶてしく自分の要求ばかり押し付け、それが通らないと「愛がない」などと 、えらそうに ほざく。

 

ところが、家族からも嫌われ 離れていかれたのは、他でもない、この姉だった。

 

そして、私がお付き合いした人は、

 

すぐキレる。

 

顔に出す。

 

他者にだけ要求する。

 

言っていることが矛盾している。

 

我がつよく、素直でない。

 

人の話は聞かない。

 

まだまだ他にもあるが、異性と自分は付き合ってみたものの、その人や、その人の姉が このような人であった。

 

これから あの人たちと付き合う人がいたら、必ず不幸になるだろう。

 

せめて、お付き合いする人と、その家族は 気持ちの良い人がいい。