不適王の再建記                  

©️2018-2024 不適王 (id:nekozebito)                                         

日頃ありがとうございます。

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私は、小学生の期間、学校で頻繁に泣いていた子どもだった。

 

今となっては泣くほどのシチュエーションでは無かったことも沢山あったのだけれど、それはそれは繊細で泣き虫だった。

 

それが不適王の個性だった。

 

小学校の同級生たちは、不適王は「何かとすぐ泣く奴」と思っていたことであろう。

 

そして、バカにしていただろうし、あきれていただろう。

 

実際に私は男女問わず同級生になめられていた。

 

1つ間違えたら指を詰められる傷害事件に至る場面もあった。

いまだに、あの場面のことを忘れられない。

恨んでいないと言ったら嘘になる。

 

何かと自分で自分を守れないって悔しい。

 

当時は感情がセンシティブになりやすい苦しみを親に言えず、1人で抱えこんでいた。

小さなプライドだったり、あるいは親が受け入れる雰囲気を持ち合わせていなかったのかもしれない。

学校で、醜態をさらしたときに妹が通りかかったときは、穴があったら入りたかった。

 

私には歳上の兄はいないし、サポートしてくれる心強い存在が近くにいなかったことも、私をより一層 不運の路肩に追いやった。

 

今振り返ると、不適応寸前のあの状態で、小学校とは言えども「行かない」という選択肢に行き着くこともなく、よくもまぁ 毎日通い続けていたと思う。

それほどの脆弱なマインドと危機迫る日々だった。

 

小学生で不登校という子どもがいるが、私は間違いなく予備群の筆頭であった。

 

中学校の終わり頃には、混乱期を経て、なるべくして不登校になった。

 

親も泣いたかもしれないが、不適王はそのずっとずっと前から泣いていた。

 

せめて家庭の中だけでも笑顔を沢山作りたかったと思うし、兄弟とも仲良くしたかった。

 

そんな余裕が無かった。

 

 

『涙』 

 

優しく美しい歌詞。

時々聴きたくなる。

 


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不適王

スパルタの鍵盤

 

不適王は、小学校のほぼ6年間、運動が苦手で気持ちが弱かったのにも関わらず、なんとかかんとか奇跡的にスイミングスクールに通い続けることができたのだが、すぐにドロップアウトした習い事も経験している。

 

小学校の低学年の頃。

 

妹と一緒に習ったピアノだ。

 

おそらく母が習わせたいと思ってのことだったのだろう。

 

そのピアノの先生は女性で、キノコカットのヘアスタイルとキツそうな雰囲気が特徴の先生だった。

 

案の定、キノコ先生はとてもとても厳しくて、ヒステリックな指導の仕方をする人だった。

笑うことがあったのだろうか、というぐらいに。

私が押す鍵盤の位置を間違えると、キノコ先生は怒声と共に、私の指を正しい位置に無理やり持っていって押さえつけた。

当時の私は理解力が疎かったこともあり、いまいち飲み込めなかった。  

 

ビクビクしながら、先生の顔色をうかがいながら、自発的ではなく、受け身で取り組む楽しくもないピアノ。

 

デリケートな私はキノコ先生の威圧が、さぞかし辛かったのだろう。

すぐにメソメソと泣き始めることが幾度となくあり、ある時は部屋に閉じ込もった記憶がある。

 

そして、結局 どれぐらい続いたのか……

まもなくして私は辞めることになった。

妹はしばらくの間は続けたようだ。

 

妹と連弾で子ども向けの発表会にも出たことがあるが(おそらく簡単なもの)、ピアノの能力や素質なんて全く無かったし、何よりもピアノの楽しさや弾けることになる喜び、というものを全く感じられずに終わった。

 

母は近くで見ていたのだろうけれど、楽しいのだろうか?

母も母で、よりによって何であんなサディズム寄りの先生を連れてくるかなぁ。

 

ああいう指導の仕方をする人って、大概 その人自身が、親や先輩、先生から、そういう指導をされてきた人が多いのだろう。

こと家庭内での体罰や虐待は、世代間連鎖のエビデンスが多いことはよく知られている。

 

特に何十年も前は、子どもを褒めて伸ばす、という概念が乏しかった。

 

それでも今となっては、ピアノの音色って心の琴線に触れる素晴らしい楽器だなと思う。

あるいはピアノを弾ける人を見ると、羨望の眼差しで見てしまう。

好きなミュージックグループの曲にピアノの音が使われていたりすると分かるし、ピアノの音色っていいなぁ、と思わされる。

 

しかしハッキリと言えることは、ピアノに趣を感じるようになったのは、キノコ先生からスパルタ指導をされたからではない、ということを、あえて付け加えておきたいと思う。

 

スポーツでも何でもそうだが、そのものの楽しさ、面白さ、あるいは感動を実感できる指導が大切だと、自分の経験を通して思わされる。

特に能力が無い子どもであれば尚更に。

 

 

『Summer』

 


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不適王

 

 

予備校

日頃ありがとうございます。

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今日、少子化だの言われるが、私の住まいの近所には、あちらこちらに進学塾なるものがあり、けっこうな数の中学生か高校生ぐらいの生徒が利用している様子を外から見てとれる。

 

ずいぶん昔、私は観ていなかったけれど、吉田栄作織田裕二江口洋介石田純一らがテレビドラマを賑わしていた時代。

私も中学校に入って間もなくの頃、都心部でよく見かける類の駅前の進学塾に通わされた。

 

同じアパートに住む私の同級生が通っていたので、おそらく私の母親が、その同級生の母親から情報を聞きつけたのだろう。

今でも初めて行った日のことを覚えている。

アパートの同級生とその連れの二人に付いていく形で、3人で自転車で駅前の予備校に向かった。

 

それから2~3年通っただろうか。

 

悲惨だった。

 

当時の私は中学校で多大なストレスを受けていた生徒だった。

学校生活でメンタルが不安定で混乱しているところに、夕方から塾に通っていたことは、私の不健康をより一層悪化させた。

 

塾に行けば、同じ中学校の連中や、他校の生徒も沢山集まってくる。

 

授業は教室がいくつかあって、うち1つの教室に多数の同級生が集まって、1人の講師がホワイトボードで授業をする形式であった。

この塾の主力講師は男性2人。

このツートップは、教え方が攻撃的だった上、口も角も立つ人間だった。

目をつけた生徒に対しては、大勢の生徒の前で平気で個人を名指しして、ねちっこくイヤミを言い、メチャクチャにバカにする講師だった。

うち1人は、当時のトレンディドラマの見すぎなのか何か知らないが、仕草がやたらキザな講師だった。

 

当時の私は大人しい性格で、かつ人格ができあがる前の不安定な年齢でもあり、バカにされる要素があったことは自分でも自覚している。

成績も得意な教科はあってもオールマイティーではなかった。

そのため標的にされ続けた。

一度目をつけられたら立て直すことは困難である。

私は自尊心を傷つけられて、著しく苦痛で仕方がなかった。

一方で、無難にふるまっている生徒、優秀な生徒、特に女子は贔屓する。

 

私には2つ下の妹がいて、同じ塾に通っていた。

妹は私よりも学業が優秀であったこともあり、塾では講師に比較され、授業中に皆の前でもイヤミを言われバカにされ、ネタにされたものだった。

 

学校の成績が出れば、そのつど提出しなければならないシステムだった。

しかも、主要5教科以外の技能教科(体育や技術など)の成績まで提出させられるという謎の意味の分からなさ、だった。

当時の私は、苦手な科目の成績は他人に言いたくなどなかった。

その為、これが皆の前で晒され辱しめを受けるかもしれない恐怖でしかなかった。

嘘でも書いておけばよかった。

 

夏期講習、冬期講習と年中ストレスフルな環境が続いた。

 

塾を辞める直前の頃、あれは夏期講習だったかな。

授業の終わりに簡素なアンケートを書かされたことがあって、私は 「いじめないでください」と書いたことを覚えている。

その前に私が辞めればよかった。

 

当時は、立地条件も含めて、いくらでも塾に生徒が集まってくる時代の最中だったと思う。

そして時代背景としてコンプライアンスもヘッタクレもなく、ああいった講師は調子に乗っていたのだろう。

 

塾通いが当時の私のメンタルの不健康を加速させてしまった。

あの塾が私には合わなさすぎたのだ。

自分のことを大切にせず無理して通い続けてしまったこと、メンタルを壊す前に早くに辞めれば良かったと、ずいぶん年月が経った今でも後悔させられている。

 

外が暗くなった頃、授業の始まりと終わりに鳴る電子音のチャイムの音色が、都会暮らしと予備校の不気味さの象徴、地獄への合図として、今でも忘れられない。

 

時も場所も変わって、昨今 町の中を歩いていると、進学塾を外から覗ける所が多い。

複数の講師らが生徒と関わっている様子が見てとれる。

当時のあんなハラスメント体質の講師なんて今はいないんだろうなぁ、と思ったりする。

 

 

不適王

 

 

滝行

日頃ありがとうございます。

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かなり昔、一度だけ、1月か2月に滝修行なるものへ行ったことがある。

 

所感を簡潔に述べると、 

 

極寒。

無意味。

非科学的。

下手したら脳梗塞心筋梗塞

 

結局、ヒドい思いをしただけで、行っても何にもならなかった。

 

その時に撮ってもらった写真をあとで見たら、顔も唇も青紫色、私の苦悶の表情と言い、自分の顔を初めて死人の顔だと思って驚いたことが深く印象に残っている。

私が苦しんで死んだ時はこんな顔をしているのか、と思わされたものだ。

それほどの苦痛であった。

 

ちなみに、その時は私の意志に関係なく強制的に参加させられたものであった。

滝修行ならぬ滝体罰である。

少なくとも、ああいうものは人に無理やりさせたり、させられるものではない。

自ら意図をもってトライしてこそ、意味のあるものであり、身に付くものである。

当然のことである。

 

そのアンチ滝修行の私が、この冬、ツアーにトライしてみようと頭をよぎったのである。

 

考えられないことである。

 

そんな経験をしてまで、なぜそんなことを思い立ったかと言うと、やはり余裕を持った状態で、かつ自分の意志で取り組んだ場合に、滝修行がどれほどの充実感を伴うのだろうか、というものを知りたくなったからだ。

 

長年、私はトレーニングジムで、自分のメンタルヘルスや健康のために、黙々と並の他人よりもずっとハードにトレーニングを継続している自負と強みがあるので、今の私はハッキリと言って滝修行ごときに臆するところは全くない。

 

ただ、唯一気になる点は、自分の意志に反して、万が一脳梗塞心筋梗塞を患っては、何をしに行っているのか分からない、という点だ。

 

まさしくあの時のヒドイ顔の死体になるかもしれない、毎年 真冬の登山の遭難ニュースを見て (またかよ、こんな時に…) と思っている自分が、まさかの雪が積もる山中の滝壺で溺死、ネットニュースに掲載、なんて全く笑えない。

 

あくまでも非科学的な滝修行に対する疑念を払拭できなかったので、数週間、これを悩んだわけである。

 

その結果、滝修行にトライすることは断念した。

やはり何度考えても、個人的には賢明な判断であると思った。

 

なんでもかんでも挑戦すればいいというものではない。

 

挑戦することは、来年からの新規の仕事もある。

 

私よ、なにかと根気よく挑戦し続けているではないか。

 

なにも雪積もる山中の中で滝に打たれなくてもいい。

 

不適応が多い半生だけれど、これからも自分を応援してあげたい。

そして、難しいことがあっても、こんな心根の兄さんがいたらカッコいいなぁ、という人に、自分がなろうと思う。

 

皆さま、良いお年を。

 

 



不適王

 

 

ある夏の日の運勢

【日頃ありがとうございます。

お食事中の方はご遠慮下さいませ。】

 

 

皆さんは和式トイレを使ってきた方々なのだろうか。

 

私は幼い時から和式トイレというものに馴染みがなかった。

 

物心がついた時には洋式トイレを使用していた。

 

そのため、小学校3年生の夏の日、かなり久しぶりに祖父母が住んでいる山奥の田舎に帰ったときのこと。

和式トイレはどうやら使い勝手が悪かったみたいだ。

 

セミが鳴いていたであろう天気の良い素晴らしき夏の日だったことは、かすかに覚えている。

 

和式トイレには入らず、庭の芝生のど真ん中で、短パンをおろして用を足したのだった。

 

そして残念ながら、つけた運は幸運ではなく悪運の方だった。  

 

私が短パンを下ろして排せつをしている まさにその場面を、うちに遊びに来るところであった近所の年上双子姉妹と同い年の女の子、計3人に、バッチリ見られてしまったのだ(>_<)

 

なんというタイミングだろうか(>_<)

 

祖父母の家の芝生と外を区切るものは生け垣だ。

表門と生け垣の間に隙間があった。

そこから既に目視されていた。

 

あの時の私は、見られたこともそうだが、和式トイレでできないことも合わせて恥ずかしかったのだ。

 

家の中に駆け込んだが時すでに遅し。

庭にはたいそう立派な証拠が残っている。

 

遊びに来た近所の女の子らは、私が庭で用を足したことを、私の2歳年下の妹に面白おかしく耳打ちしていた。

屈辱だったし、メソメソいじけた記憶がある。

 

あのとき、せめて人の見えない家の裏側とか、外部からの視界を遮る場所で用を足せば良かった。

 

あるいはメソメソせずに、

「お前たち何がおかしいんだ、バカやろう!俺は洋式トイレしか使ったことがないんだよ!俺のウ◯コを投げつけるぞ!」

なんて言っても良かったな。

 

そんな気迫もボキャブラリーもある子どもではなかったことが悔やまれるけれど。

 

ちなみに後年、私が30歳を過ぎてからのこと。

当時の職場が古い建物で、和式トイレだった。

その時も、和式トイレで しゃがむ向きが分からなくて、適当な向きにしゃがんだ。

さらに後になって、これを親しい人間に伝えたら驚かれていた。

 

どっちを向いてしゃがむのか。

 

今でもハッキリと認識していないし、いやはや覚えるつもりもない。

 

和式トイレにも不適応なのであった。

 

 

 

不適王

 

 

日頃ありがとうございます。

 

今日は私自身の経験に基づいたことを書かせて頂きます。

エッジが効いている内容となっておりますが、どうかご理解、ご了承下さい。

 

タイトルにもあるように「嘘」というものについてです。

 

傷つけない嘘、嘘も方便、という言葉を軽く掲げる人がいますよね。

だから良いのだと。

何が問題なのだと。

 

当然、嘘をつかれた側の人間が傷つかなければよいです。

しかし全てが必ずしもそうなるとはかぎりません。

 

その結果、希に甚大な精神的被害を被る場合もあるからです。

その場合は、優しい嘘、傷つかない嘘、嘘も方便、にはなりません。

 

嘘そのもではありません。

 

結果、相手がどうなったか?

意味はあったのか?

そこに何があったのか?

そこに何を見たのか?

 

ということが最も重要なわけですが、それは受け手の主観を伴う結果です。

嘘を方便として使った方の主観が入る余地はないということです。

 

そこに全てがあります。

 

同じ嘘でも、たとえ相手のことを想った上でも、

それは一方的な押し付けというものも存在します。

正義の押し付けというものが希に存在します。

それを知らないことは極めて危険です。

 

柔らかく優しい嘘と、受け手が後を引きずるトラウマティック ストレスな嘘とでは、全く次元の違うものなのです。

その柔らかい嘘の背もたれに もたれかかって言い訳する人は、脆弱で思慮が浅い人です。

 

私の経験上、真に相手のことを思っているならば、向き合う気持ちがあるならば、嘘という手段は極力使いません。

日常から嘘を方便として使いやすい人、正統性を主張する人は、実は危険をはらんだ人だと私は思っています。

 

軽すぎます。

これは決して楽しい話ではありません。

 

体罰と酷似しています。

体罰もほかの手段が面倒だから利用します。

同時に、それは自らの指導者としての力、また調整力がないと言っていることに等しいのです。

 

海外のスポーツの現場では、基本的に体罰というものは存在しません。

日本古来の悪しき風習であり、嘘も方便という古来よりの格言との親和性、暴力性、冷酷性を感じずにはいられません。

 

また合わせて、嘘も体罰も、最も重要な共通ファクターとして、相手との信頼関係の有無、ということも書き加えておく必要があります。

 

これは、私自身への戒めでもあるため、書かせて頂きました。

 

私も世の中もより良くなりますように。

 

 

不適王

 

 

世の中には知らないこともあるものだ。

 

小学生の時、あれは、S山君の自宅に泊まりに行かせてもらった時のことだった。

 

カレーを食べさせてもらった。

 

S山君宅では、カレーに生卵を入れて食べていたのだ。 

 

生卵?!

 

私の家庭でもカレーは頻繁に食べていたが、生卵を入れるという食文化は無かったので、かなりのカルチャーショックであった。

 

とても進んでいるというか、シャレたことをするんだな、自分は何も知らない…と思った記憶がある。

 

そして、同じく小学生時代。

同級生の誰かが、鮭のこと「シャケ」と呼んでいたこと。

 

シャケ?   

「シャ」ケ?

しゃけ…シャケ…

 

私は一度も聞いたことがなかった。

 

なんだその、こなれた呼び方は?

 

甘ったれてそうな、ちょっと生意気な、それでいて少し分かってるその感じ。

 

しかも旨そうに聞こえる。

 

これも食文化におけるカルチャーショックであった。

 

ちなみに、私は今でも「サケ」である。

ただ単に「シャケ」という響きが気持ち悪くて、そんな風に呼べない。

※シャケ文化圏の方々、ごめんなさい(>_<)

 

私は小学生の頃、体も細く、食が細い方だった。

 

うちの家族が、カレー生卵のS山君の家族と外食に行った時のこと。

 

子どもの私たちはチャンポンを食べた。

 

同級生のS山君は、どちらかと言うと体も大きい方で、チャンポンを早く食べ終えた。

S山君の食べっぷりを、S山君の母親が少し自慢気に伝えてくるのだ。

 

それ以来、今でもスーパーでチャンポンの商品を見るたびに、何十年も前の、その時の悔しさを思い出す。

 

そして、食も太くなった現在、まれにチャンポンを自宅で作って食べる時は、しっかりガッツいて、いまだにその時の悔しさを乗り越えようとしている自分がいる。

 

カレーに生卵、シャケ、チャンポン。

 

私は、こういう小さな劣等感を勝手に積み重ねて、自信や自己肯定感を無くしてきていたのであった。

 

【小学生の自分へ】

 

生卵をカレーに入れなくてもいい。

入れたところでスゴくもなんともない。

 

お前にとって鮭は「サケ」だ。

「シャケ」と呼んだところで偉くもなんともない。

 

チャンポンを早く食えたからって何になる?

お前のペースで食って消化すればいい。

 

不適王