プロ野球 オリックス・ブルーウェーブが優勝した1995年の初夏。
オリックスファンであった当時10代の私は、関西に住んでいたため、大阪の今は無き藤井寺球場へ応援に駆けつけたことがある。
藤井寺球場には、室内練習場が併設されていた。
選手は球場から室内練習場に移動する際、チケット売場のすぐ横の球場出口から一度外に出る仕組みになっていた。
チケット売場辺りにいる私たちのそばを通るので、ファンは選手を至近距離で見れたのだ。
この日、室内練習場には選手がチラホラ出てきていた。
室内練習場は解放されているので中が丸見えだ。
いつも遠目にしか見れなかった選手が、目の前を通り、すぐそこで練習をしている。
現代の球場設備では、おそらくキャンプ地や2軍施設でないと考えられないことだろう。
そしてこの日、室内練習場前には、チームのグラウンドコートを着用した貫禄のある年輩の有名なコーチが、少し時間を持て余していたような雰囲気で立っていた。
さぁさぁ というような雰囲気で、今にもファンの人たちと話してくれる様子でいる姿を発見した。
誰だかすぐに分かった。
(あ、中西太さんだ!)
現役時代は、王さん、長嶋さんと同じくらい有名な伝説の選手だった人だ。
この当時は、オリックス・ブルーウェーブの1軍ヘッドコーチをされていた。
当時の私は、プロ野球を観戦に行くときは、誰でもよいので選手からサインをもらおうと考えていた。
この日もバッチリとサイン色紙とマジックペンを持参していた。
そして、いつでもサインがもらえるように、色紙とマジックペンをリュックから出して、手に持ち準備していた。
用意周到作戦だ!
中西太ヘッドコーチは、ファンの人たちと一声二声交わしていたかな。
怖そうで、でもどこか気さくそうな中西太ヘッドコーチの近くに行くと、10代の私は中西太ヘッドコーチと目が合ったことを記憶している。
昭和風で威圧感のある雰囲気の中西太ヘッドコーチに、ドキドキしながらサインをいただけるようお願いしたらオッケーだった。
(おぉ!やった!)
そして、中西太ヘッドコーチが私から色紙とマジックペンを手に取り、サインを書き始めたときだった。
中西太ヘッドコーチ
「おい、書けないじゃないか」
え……
なんと、マジックペンからインクが出ないのだ。
私は焦った!
一瞬パニックになった。
新しいマジックペンなのに!
用意周到に準備していたのに!
実はこの時、すぐにサインしてもらえるよう、あらかじめマジックペンのキャップを開けていたのでインクが乾いてしまったのだ。
中西太ヘッドコーチ
「おい、誰か貸してやれ」
たまたま近くにいたオリックス・ブルーウェーブ ファンの女性の方がマジックペンを持ってらっしゃって、貸して下さった。
そして、無事に中西太ヘッドコーチはサインを書き終えたのだった。
中西太ヘッドコーチ
「(女性に)お礼を言っておけよ」
あらためてお礼を伝えたい。
1995年 初夏、大阪の藤井寺球場にて。
サインを書いて下さったオリックス・ブルーウェーブの中西太ヘッドコーチ、そしてマジックペンを貸して下さったブルーウェーブ ファンの女性の方、この日はありがとうございました。
そしてこの年、オリックス・ブルーウェーブ、パ・リーグ制覇おめでとうございました。
今でもこの時に頂いたサイン、大切に持っています。
不適王