日頃ありがとうございます。
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今日、少子化だの言われるが、私の住まいの近所には、あちらこちらに進学塾なるものがあり、けっこうな数の中学生か高校生ぐらいの生徒が利用している様子を外から見てとれる。
ずいぶん昔、私は観ていなかったけれど、吉田栄作、織田裕二、江口洋介や石田純一らがテレビドラマを賑わしていた時代。
私も中学校に入って間もなくの頃、都心部でよく見かける類の駅前の進学塾に通わされた。
同じアパートに住む私の同級生が通っていたので、おそらく私の母親が、その同級生の母親から情報を聞きつけたのだろう。
今でも初めて行った日のことを覚えている。
アパートの同級生とその連れの二人に付いていく形で、3人で自転車で駅前の予備校に向かった。
それから2~3年通っただろうか。
悲惨だった。
当時の私は中学校で多大なストレスを受けていた生徒だった。
学校生活でメンタルが不安定で混乱しているところに、夕方から塾に通っていたことは、私の不健康をより一層悪化させた。
塾に行けば、同じ中学校の連中や、他校の生徒も沢山集まってくる。
授業は教室がいくつかあって、うち1つの教室に多数の同級生が集まって、1人の講師がホワイトボードで授業をする形式であった。
この塾の主力講師は男性2人。
このツートップは、教え方が攻撃的だった上、口も角も立つ人間だった。
目をつけた生徒に対しては、大勢の生徒の前で平気で個人を名指しして、ねちっこくイヤミを言い、メチャクチャにバカにする講師だった。
うち1人は、当時のトレンディドラマの見すぎなのか何か知らないが、仕草がやたらキザな講師だった。
当時の私は大人しい性格で、かつ人格ができあがる前の不安定な年齢でもあり、バカにされる要素があったことは自分でも自覚している。
成績も得意な教科はあってもオールマイティーではなかった。
そのため標的にされ続けた。
一度目をつけられたら立て直すことは困難である。
私は自尊心を傷つけられて、著しく苦痛で仕方がなかった。
一方で、無難にふるまっている生徒、優秀な生徒、特に女子は贔屓する。
私には2つ下の妹がいて、同じ塾に通っていた。
妹は私よりも学業が優秀であったこともあり、塾では講師に比較され、授業中に皆の前でもイヤミを言われバカにされ、ネタにされたものだった。
学校の成績が出れば、そのつど提出しなければならないシステムだった。
しかも、主要5教科以外の技能教科(体育や技術など)の成績まで提出させられるという謎の意味の分からなさ、だった。
当時の私は、苦手な科目の成績は他人に言いたくなどなかった。
その為、これが皆の前で晒され辱しめを受けるかもしれない恐怖でしかなかった。
嘘でも書いておけばよかった。
夏期講習、冬期講習と年中ストレスフルな環境が続いた。
塾を辞める直前の頃、あれは夏期講習だったかな。
授業の終わりに簡素なアンケートを書かされたことがあって、私は 「いじめないでください」と書いたことを覚えている。
その前に私が辞めればよかった。
当時は、立地条件も含めて、いくらでも塾に生徒が集まってくる時代の最中だったと思う。
そして時代背景としてコンプライアンスもヘッタクレもなく、ああいった講師は調子に乗っていたのだろう。
塾通いが当時の私のメンタルの不健康を加速させてしまった。
あの塾が私には合わなさすぎたのだ。
自分のことを大切にせず無理して通い続けてしまったこと、メンタルを壊す前に早くに辞めれば良かったと、ずいぶん年月が経った今でも後悔させられている。
外が暗くなった頃、授業の始まりと終わりに鳴る電子音のチャイムの音色が、都会暮らしと予備校の不気味さの象徴、地獄への合図として、今でも忘れられない。
時も場所も変わって、昨今 町の中を歩いていると、進学塾を外から覗ける所が多い。
複数の講師らが生徒と関わっている様子が見てとれる。
当時のあんなハラスメント体質の講師なんて今はいないんだろうなぁ、と思ったりする。
不適王