いつもありがとうございます。
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不適王は、小学校のほぼ6年間、運動が苦手で気持ちが弱かったのにも関わらず、なんとかかんとか奇跡的にスイミングスクールに通い続けることができたのだが、すぐにドロップアウトした習い事も経験している。
小学校の低学年の頃。
妹と一緒に習ったピアノだ。
おそらく母が習わせたいと思ってのことだったのだろう。
そのピアノの先生は女性で、キノコカットのヘアスタイルとキツそうな雰囲気が特徴の先生だった。
案の定、キノコ先生はとてもとても厳しくて、ヒステリックな指導の仕方をする人だった。
笑うことがあったのだろうか、というぐらいに。
私が押す鍵盤の位置を間違えると、キノコ先生は怒声と共に、私の指を正しい位置に無理やり持っていって押さえつけた。
当時の私は理解力が疎かったこともあり、いまいち飲み込めなかった。
ビクビクしながら、先生の顔色をうかがいながら、自発的ではなく、受け身で取り組む楽しくもないピアノ。
デリケートな私はキノコ先生の威圧が、さぞかし辛かったのだろう。
すぐにメソメソと泣き始めることが幾度となくあり、ある時は部屋に閉じ込もった記憶がある。
そして、結局 どれぐらい続いたのか……
まもなくして私は辞めることになった。
妹はしばらくの間は続けたようだ。
妹と連弾で子ども向けの発表会にも出たことがあるが(おそらく簡単なもの)、ピアノの能力や素質なんて全く無かったし、何よりもピアノの楽しさや弾けることになる喜び、というものを全く感じられずに終わった。
母は近くで見ていたのだろうけれど、楽しいのだろうか?
母も母で、よりによって何であんなサディズム寄りの先生を連れてくるかなぁ。
ああいう指導の仕方をする人って、大概 その人自身が、親や先輩、先生から、そういう指導をされてきた人が多いのだろう。
こと家庭内での体罰や虐待は、世代間連鎖のエビデンスが多いことはよく知られている。
特に何十年も前は、子どもを褒めて伸ばす、という概念が乏しかった。
それでも今となっては、ピアノの音色って心の琴線に触れる素晴らしい楽器だなと思う。
あるいはピアノを弾ける人を見ると、羨望の眼差しで見てしまう。
好きなミュージックグループの曲にピアノの音が使われていたりすると分かるし、ピアノの音色っていいなぁ、と思わされる。
しかしハッキリと言えることは、ピアノに趣を感じるようになったのは、キノコ先生からスパルタ指導をされたからではない、ということを、あえて付け加えておきたいと思う。
スポーツでも何でもそうだが、そのものの楽しさ、面白さ、あるいは感動を実感できる指導が大切だと、自分の経験を通して思わされる。
特に能力も無い子どもであれば尚更に。
『Summer』
不適王