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人が正しく学び、他者を信頼できる家庭・社会となりますように。
筆者
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「体罰」と言うと、身体的なものだけをイメージする人が多いと思うが、それだけではない。
体罰をする人間にかぎって、言葉で相手の人格を潰す。
・相手の苦悩に心を全く寄せない
・相手に選択肢を与えない
・相手の人格を否定し見下す
・相手の人生そのものを否定する
私がかつて体験した悪の巣窟では、これを身体的体罰に加える事が常だった。
受け手がどういう気持ちになったのか、関わった人間は未熟だから認識できていないのだ。
こういう連中は救いようがなく最低最悪だ。
こちらの方こそ尊大に振る舞う彼らの人格を疑わざるを得ない状況であった。
刑法にも係る被害者の私としては、譲ることは絶対にあり得ない。
万に1つ譲るとしても、身体の体罰も含めて他者の人格を罵倒し、他者の人生を否定するなら、正々堂々と、ありとあらゆる衆人が見える所でしろよ、と言いたい。
容疑者は「昔から(体罰は)あったよな」
と言いながらも、絶対に表ではしなかった。
ひたすら故意に隠そうとしたのは、やましい行為であることを分かっているからだ。
衆人の前では正々堂々としない。
それが彼らのような人間の常だ。
本当にズルくて卑怯で下劣極まりない。
仮にも「指導」?「改善」? を標榜しているわけだが、実は自ら進んで「私には指導力がありません」と言っているようなものであり、自らを貶めている行為だ。
こういう自称・指導者のライフヒストリーを辿ってみると、私が知る限りでは、
・他者の痛みに鈍感
・言葉で教える力、コミュニケーション能力、その技術がかなり不足している
・性格における攻撃的で支配的な素因に加えて、負の世代間連鎖を経験している
・体罰で成果が伴うと勘違いをしている
こういった背景がある。
暴力的な素因。
私が目の当たりにした人間は、なんとあろう事か、ナチスドイツそしてヒトラーのポスターを、いわゆる指導?現場に、これ見よがしに壁に貼り付けていた。
皆さんはこれをどう思うだろうか。
本当にそんな場所があるの?
そんな人がいるの?
と思われることだろう。
これは近年、日本国内で実際に起きている事である。
また、負の世代間連鎖とは、容疑者の親がまた暴力的であったり、あるいは容疑者が学校の先輩から暴力を受けてきたことを意味する。
このような自称・指導者の真の姿を、私の母親は、一時「あの人はすごい人なんだから」と盲信していた。
無知ゆえの愚かさ、である。
両親は誰からも厳しく指摘、糾弾されなかったわけだ。
これは極めて不幸な事である。
私は後になって、被害者の立場として、かなりの剣幕と厳しさで迫った。
昔から、両親ともに他者の痛みに非常に鈍い人間だと感じる。
そこにある「人の心」というものに対する意識が低すぎる。
自分の何かに置き換える、という所まで思いが及ばない。
そして、私の両親に共通している要素は、コミュニケーション能力や技術がかなり不足している。
幼い時から、子どもへの言葉の掛け方1つ、不足していた。
そして古い体質を持っている親であり、親が主導権を握っていた。
2人を長年見てきた私は、常々 痛感している。
そして、体罰や拘束といった傍若無人な環境は、子どもの人格形成や将来の為にならない事を知る由もない。
そして臭いものには蓋をする習性がある。
チープな正当化もしていたことであろう。
「体罰」「拘束」等の人権侵害は、関わった人間全ての責任である。
そういう場所を容認した全ての人間に、だ。
当事者は私であり、知っているのは私である。
どれほどの期間、どれだけの事を目の当たりにしてきたと思うのか。
当事者の言葉が、現場への評価であり、親へのフィードバックであり、これが全てなのだ。
そして、そもそも私にも選択する権利があったはずだ。
私は知らされなかった。
説明も何も無かった。
選択する機会を与えられなかった。
そこで既に暴走が始まっていたわけだ。
私の親のように、無知で、盲信した人間が、彼らのような犯罪自営業者を暴走させた。
体罰の現場では「連帯責任」という言葉を使用された。
いやいや、その言葉を体罰に関わった全ての人間へ、そのまま返したい。
こういう反社会的な自称・教育者のことは、これまで多くの被害者側が、そして社会やマスコミが絶対に許してこなかった。
いくつもの裁判沙汰となっている。
運が悪くも私が関わってしまったその容疑者らは、とある裁判を経て敗訴し、一部社会的責任を負わされた。
そして、後に私を含めた多数の人間の怨念と社会正義の波に押され、廃業している。
学校やあらゆるコミュニティでは市政(公共)の眼差しが育くまれ、地域の条例も続々と制定された。
これらに私も1つの役目を担っている。
これからも、どのようなコミュニティであれ、このような事案があれば、益々、即刻、炙り出されるであろう。
負の連鎖を断ち切る為にも、そして同じような被害者を出さない為にも、同志たちよ、私はこれからも惜しみなく被害者やマスコミに協力したい。
序章/完
不適王