私が小学生時代に学校で学び、大人になってからも役に立っていることと言えば、平仮名、カタカナ、漢字、足し算引き算、九九、すぐに思いつくものは、そんなものだろう。
学年が上がるたびに支給される真新しい学校の教科書。
その匂い、その表紙から伝わるプレッシャー。
あるいは、親が知人やコミュニティから譲り受けたお古のドリル。
無駄にストイックな反復の公文、いや苦悶だった(※合う人もいるだろう)。
勉強が全くできなかった当時の私にとっては、自宅に帰ったら無理矢理やらされたドリルとヒステリック気味な偏った教育。
親が唯一助かったことは、私が強く言い返さない子どもだったことだろう。
できないものは絶対にできない、という当時の私に対する配慮のある寄り添い方ではなかった。
大変なストレスだったことを思い出す。
そんな私のサイレントな暗黒期、小学生時代。
現在、start over、brush up をテーマに掲げて、今あらためて当時に戻って学びなおしていることがある。
国語を?
理科を?
社会を?
いいや、ジャンプ・コミックス。
コミックス??
そう、漫画だ。
当時はジャンプ・コミックスの黄金期であったにも関わらず、私は諸事情により、数々のジャンプ・コミックスを手に取る機会が極めて少なかった。
その為、当時の世代としては漫画というものをほとんど知らずに育った比較的珍しい少年であった。
その漫画、特に往年のジャンプ・コミックスをザックリとではあるが、数十年越しに読み漁っている。
今になって漫画を読み進めていくうちに知り得たこと。
それは狭い世界で生きている人が、外部の世界や多様な文化を知った時に享受するそれのように、当時の私には学校のどんな教科書よりも、家庭に持ち込まれたどんなドリルよりも、公文よりも、この漫画が必要だったんだ、と確信をもてたのである(※私の場合)。
私にとって本来必要であったことが、漫画の中に目一杯詰まっていた。
そして漫画には答え合わせも付いていた。
その詳細はあえて言わない。
古本屋へ行くと、立ち読みをしている人を沢山見かける。
私の場合は古本屋で立ち読みは絶対にしないし、長時間の立ち読みをする人を快く思わないが、漫画が身近にあって、読むことができる、読み進める力がある、ということは本当に素晴らしい財産だと思う。
さて、今日も人生の教科書の続きを読んでいくとしよう。
あ、その前に、久しぶりのはてなブログ、皆さんのホームへ寄らせて頂こう。
不適王