他人の気持ちや感じることなんて、そうそう分かるものでもないだろう。
どんなに鋭い人や敏感な人でも、その精度は100%であるはずがない。
私のような人間ですら、それぐらいの事は分かっている。
他人が、何事かによって、どれほどの思いをするのか?
どれほどの苦汁をなめるのか?
そんなもの、分かりようがない、と言ってしまえばそれでおしまいだ。
私は人に、いや親に、人の気持ちが分からないのなら、
1度だけ以下のように伝えたことがある。
自分が最もツラく腹正しくイライラしたストレスフルな場面を思い出してみるといい、と。
相手が、その何倍の苦痛、違和感、不安、緊張が、四六時中続いていたとしたら?
と想像してみるといい、と。
その時に、ハッとした考えさせられる顔をして、いくばくかの理解をしたような姿をみた。
どれだけ分かったのか知る由もないけれど。
人は、そこが抜け落ちるから、都合のよいことばかりを拾ってしまい、時の経過と共に取り返しのつかない痛みを与えてしまっている。
その事を、私のような薄い人間ではなく、賢明で思慮深い心眼をもった本当の意味で博識な人間であるならば、知っている。
私が、まがりなりにも、人の心、メンタルヘルスをとても大切にしているわけは、幼い頃からの環境だけでなく、成人してからも心を砕いてきた経験に起因する。
人の心を大切にしたのならば、必ずや人から誠実な形となって返ってくる。
人から大切にされたと感ずるなら、否が応でも人を大切にする人間となる。
その逆もしかり。
私は生まれた瞬間から、生きている中で、大いなる責任がある。
それは見える相手の姿にではなく、見えづらい相手の心に対して。
不適王