不適王の再建記                  

©️2018-2024 不適王 (id:nekozebito)                                         

魔女の家?

いつも本当にありがとうございます。

皆様におかれましては いかがお過ごしでしょうか。

私は杉花粉が舞い始めたら即座に反応していましたが、ヒノキに変わった途端、症状が無くなった今日この頃です。

 

不適王

 

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ずいぶん昔のこと。

私が小学校2年生か3年生の時だった。

 

その日、学校から帰ってからだったか。

私と2つ下の妹は、とある独居の高齢女性の元に預けられた。

当日中に迎えに来ることは伝えられていたようには思う。

 

この高齢女性が住むアパートの居住スペースは、とても広く、そして洋画に出てくるような、まさに洋風一色のインテリアで埋め尽くされていたお宅だった。

 

窓の外は夕暮れとなり、暗くなっても、なかなか親が迎えに来なかった。

当時はケータイやスマホの影も形も無い時代。

連絡の取りようがないし、どうなっているのか状況も分からないことに強いストレスと不安を感じ、まだか?まだか?と、ひたすらソワソワしていた。

 

子ども心に、この独居の高齢女性に何かされるんじゃないかと、それはそれは不安だった記憶がある。

 

小学校低学年ぐらいの私にとって、馴染みのない独居のお婆さん、静まりかえった薄暗く不気味な洋室、強い不安感、まるで魔女の家に連れて来られたかのような心情だった。

 

親が迎えに来るまで実際にどれほどの時間が経過したのか、今となっては分からない。

当時の私が感じたほど長くはなかったのかもしれない。

 

それでも親が迎えに来るまでの時間が相当長く感じたし、迎えに来た時刻も小学校低学年の子どもにしてみれば遅い時間帯であったように記憶している。

 

後に知ったことだが、この魔女、いや お婆さんは、私の中では全く記憶に無いのだが、母親が顔見知りで親交があったようだ。

 

そして、当時 母親が体調をかなり崩したそうで、それにより病院に運ばれた?ため、その間に私たちは親交がある魔女、いや お婆さんの元へ預けられた、という経緯が事の真相であった。

 

母親は、おそらく慣れない土地で、子育てや家事等で心身の疲れがたまっていたのだろう。

子どもが幼子も含めて3人いたことや、当時の特殊な周辺環境においては、母親も大変で無理がたたったはずだと、今となってはとても理解ができる。

私たち家族は引っ越しも多く、よく頑張ってくれたと今では常々思う。

 

ちなみに、後々になって母親に当時の話をした時、母親自身が体調を崩した原因がストレスだということは絶対に認めたくないのか、強い姿勢を子どもに示したいのか分からないが、母親は病院に運ばれた件については意に介さない感じを出す。

 

後になって母親から聞いた話では、お婆さんの家に預けられた2つ下の妹は、この時間が楽しかったそうだ。

それを聞いた時は驚いた。

お婆さんの人柄は記憶にないが、子どもが遊ぶモノなんて無く、あの空間と迎えを待ちわびた時間の一体何が楽しかったのだろうか?

妹に直接聞いたわけではないので、楽しかった事が本当なのかどうかは定かでない。

妹は幼稚園の年長か小学校に入ったばかりの頃なので、覚えているのか?

親の体裁や面目を保つために、母親が私に嘘を言ったのかもしれないが、まぁ今となってはどうでもよいことだ。

 

子どもだからと言っても当然 心があるし、一人ひとりの性格やキャパシティは全然違う。

 

小学校低学年にとっては、大人とは違う未熟さもある。

 

私も損な性格をしているし、もっと工夫をして楽しめたのなら、見える景色が変わったのだろうけれど。

 

人生はホロ苦い。

 

でも、母親も回復してくれたようだったし、お婆さんも 私と妹を預かってくれてありがとう。

 

 

不適王