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不適王
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皆さんは「体罰」について、どう思われるだろうか?
どこまでが「体罰」なのだろうか?
ご自身いわく「体罰」を受けた体験はあるだろうか?
もし「体罰」を受けたことがあるならば、それは貴方にとって、どのような意味があったのか?
まず、あらかじめ言っておくが、私がここで言う「体罰」とは、学校の先生に一度だけ平手打ちをされた、とか、廊下に立たされた、とか、職場の上司に蹴られた、ひっぱたかれた、とか、その程度のレベルのものではない。
略取、誘拐、人身売買、身体の自由の侵害、言論の封殺など、広範な人権侵害を伴い、それを長期間、刑法や各種条例にも抵触する類の体罰だ。
体罰という言葉では収まりきらない閉鎖的で欺瞞の教育である。
そんなことあるの?
と思われた人もいるかもしれない。
実は、私 不適王には、ある。
そしてこのような体罰という名の人権侵害は、死んでも絶対に反対だ。
反対という言葉は極めて控えめに言っている。
嫌だから?
ツラいから?
そんな事は言うまでもないことなのだが、
そこからは何も生まれないからだ。
何をだと思う?
もし、貴方がそれを答えられなかったら、この分野では経験と勉強不足だ。
自ら進んで、どこかに無駄で意味の無いお金を払って、過酷で常軌を逸した体罰を、それも長期間に渡って、受けてきたらいいと思う。
絶対に奨めることはしないが。
体罰はね、
人間が社会で生きていく上で最も必要な、人の心の内側からの真の変革や成長と、そして他者を信頼する、という心を、決して生むことはないからだ。
そして、心と体に大きな傷を負い、回復までに多大な時間を要するからに他ならない。
ここでは、あくまで控えめに狭義の体罰をメインに取り上げていく。
体罰問題については、元プロ野球投手の桑田真澄さん(55)が、10年前に、朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えている。
紹介したい。
桑田さんは、中学まで毎日のように練習で殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
「殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。」と語っている。
桑田さんは、早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしている。
桑田さんは 語る。
「体罰について尋ねると、『指導者から受けた』は中学で45%、高校で46%。『先輩から受けた』は中学36%、高校51%でした。
意外に少ないな、と思いました。
ところが、アンケートでは『体罰は必要』『ときとして必要』との回答が83%にのぼりました。
『あの指導のおかげで成功した』との思いからかもしれません。
でも、肯定派の人に聞きたいのです。
指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。『絶対に仕返しをされない』という上下関係の構図で起きるのが体罰です。
監督が采配ミスをして選手に殴られますか?
スポーツで最も恥ずべき卑怯な行為です。
殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。
スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。
昔はそれが正しいと思われていました。でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか?
何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。
『タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん。』
そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。
子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。
『この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか?』
時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
『練習中に水を飲むとバテる』と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。
手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。
でも今、適度な水分補給は常識です。
スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、『何をしたら殴られないで済むだろう』という後ろ向きな思考に陥ります。
それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
『極限状態に追い詰めて成長させるために』と体罰を正当化する人がいるかもしれませんが、殴ってうまくなるなら誰もがプロ選手になれます。
私は、体罰を受けなかった高校時代に一番成長しました。
『愛情の表れなら殴ってもよい』と言う人もいますが、私自身は体罰に愛を感じたことは一度もありません。
伝わるかどうか分からない暴力より、指導者が教養を積んで伝えた方が確実です。
日本のスポーツ指導者は、指導に情熱を傾けすぎた結果、体罰に及ぶ場合が多いように感じます。
私も小学生から勝負の世界を経験してきましたし、今も中学生に野球を教えていますから、勝利にこだわる気持ちは分かります。
しかし、アマチュアスポーツにおいて、服従で師弟が結びつく時代は終わりました。」
この言葉、甲子園、そしてプロ野球で輝かしい成績を残した超一流投手の言葉だ。
体罰は、受けた側に何も残さない。
引用
「体罰は自立妨げ 成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ. 朝日新聞. 2013-1-11. 朝日新聞デジタル.
https://www.asahi.com/edu/articles/TKY201301110314.html (2023-6-21)
不適王