日頃から本当にありがとうございます。
季節も変わりつつあり、また南からつむじ風の便りもあり、はてなブログの皆様におかれましては、どうぞご自愛下さいませ。
不適王
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これはあくまで対人関係に集約した話として、心の整理として、そして世界と後世に向けて書いている。
私は彼らを、彼らの性格を、その人間性を、そして、彼らがやる事を、彼らが巣くう空間を、彼らが秘密裏に行っていた全てを、今でも断じて許していないし、その思いはこれからも変わらない。
ましてや感謝?
やりきった感?
そんなものなど あろうものか。
人は誰でも受け入れることができると思っているのか。
どのような場でも、そこから学べ、とでも言うのか。
自分よりも先に生まれた人間は先生??!
どの口が言えるのか。
そんなことが認められると思っているのか。
私には到底受け入れられない人物がいた。
そしてコミュニティや空間があった。
それは私が我が儘だからなのか?
私が弱いからなのか?
私が甘いからなのか?
あるいは私が馬鹿だからなのか?
私が幼稚だからなのか?
いいや、
では言おうか、
それは違う。
一般的に、学校や職場、家庭において、人が他人から何かしらを学ぶ時や、あるいは逆に他者に何かを教えようとする機会や場面は多々ある。
多くは、偶然の巡り合わせであり、無条件で受け入れざるを得ない機会の連続である。
私にもあった。
沢山あった。
それは学校であり、職場であった。
昔、私の職場には、とても厳しくストイックな上司や先輩がいた。
それはそれは厳しく当たられ、様々なことを教わった。
時に反発して、裏の廊下に出ては睨み合い、足蹴りを食らわされたこともあった。
その上司からは「土人」と呼ばれたこともあった(むしろ土人?に失礼だ)。
今の時代では、露骨にハラスメントの類が山ほどあった。
その後の職場でも、辛酸をなめた件が山ほどあった。
それでも、今となっては これらの職場の上司や先輩、同僚のことを全く悪くも思っていないし、恨んでもいない。
それどころか私は大いに学び、感謝をしているし、今でも知人に笑って話せるほどに良い思い出となっている。
しかし、だ。
そんな私でも、そんな私でさえも、到底受け入れられない人物やコミュニティというものが世の中に存在した。
何年経っても、どれだけ人生経験を積んでも、一向に消えない嫌悪感と記憶。
いつまでも夜中の悪夢に出てくる憎き相手。
無謀なスパンを消化した果てに、当事者本人の口から出すその答えが結果であり、相手への評価であり、全てなのだ。
世の中の人間が、あれを普通にこなせるとでも思っているのか。
社会に出ている全ての人間が、私がこなした4年半を全うできるとでも思っているのか。
それは無理だったのだ、ということを、私は身体の髄から知っている。
そう、
これが事実であり、答えの全てである。
これはボールを投げられた私以外の他人が、安易に、一方的に、とやかく判断、評価することではない。
どの口で、どの立場が言えるのか。
私から言わせれば、地獄の底まで恥ずべきことだ。
私が身をもって体験をした事実から言えることは、人は人との相性というものが必ず存在する、ということなのだ。
この人は信用がおける。
この人は信頼に足る。
この人やこのコミュニティからは学んでいける。
この人だけは、どうしても信用がおけない。
この人のことだけは、どうしても受け入れられない。
このコミュニティと思想は私にとって果てしなく受け入れ難い。
個人と環境との相性と言い換えることができる。
信用と信頼があってこその世界であり人生、命。
これ以上の説明は不要なほどまでに、尊く。
不適王