不適王の再建記                  

©️2018-2024 不適王 (id:nekozebito)                                         

指をつめられる

先日の社会ニュースで、配達員さんが車のスライドドアで指を挟んで指先が切れたのに、切れた指先を路上に放置したまま配達を続けた、という極めて痛々しく悲しいニュースがあった。

 

すぐに病院にも行かず配達を続ける配達員さんの背景にある事情など、いろいろと考えさせられるニュースであったのだが、このニュースを見て私は他人事ではなかった。

 

私も指こそ飛んではいないものの、類似の事故、実は事件? を経験している。

 

もうずいぶん昔の話。

あれは私 不適王が、小学校5年生か6年生の時だった。

 

私は小学校時代、スクールバスを利用しての通学という比較的に特殊な環境にあった。 

 

あれはいつもの下校道中、スクールバスの車内の出来事であった。

 

私は開いた窓の枠に右手をそえていた。

 

そこに、後ろの席に座っていた陰湿女子二人組のIとTのどちらかが、窓を勢い強く閉じた。

 

指こそ飛ばなかった。

 

しかし、この時の影響で、今でも当たった指の箇所が左右の指で太さが違う。

 

日常には、そこかしこに危険が潜んでいるものだ。

 

陰湿女子二人組は、窓枠に私の手があったことを知らず、たまたま閉めたのかもしれない。

 

しかし、私が当時の状況を忘れているだけで、どちらかの、あるいは共謀での故意の犯行だったかもしれない。

それをやりかねないほどの陰湿女子二人組だった。

 

陰湿女子二人組は、痛がって泣いていた私に謝らなかったし、全く悪びれる様子が無かったことだけは覚えている。

 

事実は分からないが、当時の私は弱虫の泣き虫だったので、日頃から、陰湿女子二人組にとって私はストレスの捌け口として格好の餌食だった。

 

何年も何年も後に、テレビのニュースでこの陰湿女子二人組の片方と同姓同名の人間が犯罪で捕まったニュースが流れた時は、顔写真こそ無かったものの、本人かと思ったほどだ。

 

またFacebookで同窓会の写真を見つけた時、もう1人の方の女子の姿を数十年ぶりに見つけた。

本人だとすぐに分かった。

よくノコノコと出てこれるものだと思った。

 

いずれにしても、この件は、指が残っているだけ良かったと思っている。

 

また、幼い頃から他人に舐められないことの重要性も痛感した出来事であった。

 

冒頭の配達員さん、怪我が1日でも早く癒えますように。

そして安全・安心で勤務できますように。

 

 

不適王

 

 

魔女の家?

いつも本当にありがとうございます。

皆様におかれましては いかがお過ごしでしょうか。

私は杉花粉が舞い始めたら即座に反応していましたが、ヒノキに変わった途端、症状が無くなった今日この頃です。

 

不適王

 

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ずいぶん昔のこと。

私が小学校2年生か3年生の時だった。

 

その日、学校から帰ってからだったか。

私と2つ下の妹は、とある独居の高齢女性の元に預けられた。

当日中に迎えに来ることは伝えられていたようには思う。

 

この高齢女性が住むアパートの居住スペースは、とても広く、そして洋画に出てくるような、まさに洋風一色のインテリアで埋め尽くされていたお宅だった。

 

窓の外は夕暮れとなり、暗くなっても、なかなか親が迎えに来なかった。

当時はケータイやスマホの影も形も無い時代。

連絡の取りようがないし、どうなっているのか状況も分からないことに強いストレスと不安を感じ、まだか?まだか?と、ひたすらソワソワしていた。

 

子ども心に、この独居の高齢女性に何かされるんじゃないかと、それはそれは不安だった記憶がある。

 

小学校低学年ぐらいの私にとって、馴染みのない独居のお婆さん、静まりかえった薄暗く不気味な洋室、強い不安感、まるで魔女の家に連れて来られたかのような心情だった。

 

親が迎えに来るまで実際にどれほどの時間が経過したのか、今となっては分からない。

当時の私が感じたほど長くはなかったのかもしれない。

 

それでも親が迎えに来るまでの時間が相当長く感じたし、迎えに来た時刻も小学校低学年の子どもにしてみれば遅い時間帯であったように記憶している。

 

後に知ったことだが、この魔女、いや お婆さんは、私の中では全く記憶に無いのだが、母親が顔見知りで親交があったようだ。

 

そして、当時 母親が体調をかなり崩したそうで、それにより病院に運ばれた?ため、その間に私たちは親交がある魔女、いや お婆さんの元へ預けられた、という経緯が事の真相であった。

 

母親は、おそらく慣れない土地で、子育てや家事等で心身の疲れがたまっていたのだろう。

子どもが幼子も含めて3人いたことや、当時の特殊な周辺環境においては、母親も大変で無理がたたったはずだと、今となってはとても理解ができる。

私たち家族は引っ越しも多く、よく頑張ってくれたと今では常々思う。

 

ちなみに、後々になって母親に当時の話をした時、母親自身が体調を崩した原因がストレスだということは絶対に認めたくないのか、強い姿勢を子どもに示したいのか分からないが、母親は病院に運ばれた件については意に介さない感じを出す。

 

後になって母親から聞いた話では、お婆さんの家に預けられた2つ下の妹は、この時間が楽しかったそうだ。

それを聞いた時は驚いた。

お婆さんの人柄は記憶にないが、子どもが遊ぶモノなんて無く、あの空間と迎えを待ちわびた時間の一体何が楽しかったのだろうか?

妹に直接聞いたわけではないので、楽しかった事が本当なのかどうかは定かでない。

妹は幼稚園の年長か小学校に入ったばかりの頃なので、覚えているのか?

親の体裁や面目を保つために、母親が私に嘘を言ったのかもしれないが、まぁ今となってはどうでもよいことだ。

 

子どもだからと言っても当然 心があるし、一人ひとりの性格やキャパシティは全然違う。

 

小学校低学年にとっては、大人とは違う未熟さもある。

 

私も損な性格をしているし、もっと工夫をして楽しめたのなら、見える景色が変わったのだろうけれど。

 

人生はホロ苦い。

 

でも、母親も回復してくれたようだったし、お婆さんも 私と妹を預かってくれてありがとう。

 

 

不適王

 

遅すぎた不登校

私 不適王は、たしか中学校3年生の3学期から、いよいよ学校へ行けなくった。

 

あれは初めて登校しなかった日のこと。

 

アパートの自宅を出て学校に行くふりをしたが、アパートの裏手の住宅街で時間をやり過ごした。

天気が良い日だったことを覚えている。

 

とにかくもう行けなかった。

限界だった。

 

今思えば親に説明をして登校しなければよかったのだが、後ろめたかったのか、親の反応が怖かったのか、伝えることができずに家を出た。

 

自宅を出る前から決めていたのか、出てから咄嗟に判断したのか、そこは覚えていない。

 

携帯電話は無い時代。

学校にも連絡はしていない。

 

身を潜めていた住宅街では、通りがかったオバチャンに声をかけられたが、私は適当に嘘を言ってその場をごまかした。

 

昼頃になって自宅に帰った。

 

学校から自宅に連絡が入っていたはずだが、自宅に帰って私は親にどう説明したのだろうか。

 

親は私に何と言ったのだろうか。

 

全く覚えていない。

 

それから私は学校に行けなくなった。

私にとっては心身を守るには遅すぎる決断だった。

 

親はどう思っていたのだろう。

親は、それまでの私の情緒不安定と混乱ぶりを知っているので、仕方なしに? 意外とアッサリ受け入れてくれたようにも記憶しているが。

 

その後、担任から、時々 放課後に中学校の応接室で面談をしないかと提案があった。

 

私は担任に自分のことを話すつもりはなかったし、そもそも学校に戻るつもりがなかったし、相談したいことなんて何も無かった。

それでもどういう風の吹き回しなのか、とりあえず足を運ぶことにした。

 

静まり返った夕方の中学校へ、それまでとは違う立ち位置(不登校生徒)としての登校、そして担任との関わりだった。

 

応接室のソファーに座り、金粉を入れたお茶を出してくれたことを覚えている。

 

担任は登校できなくなった私のことをどう思って、どうしようと思っていたのだろう。

 

担任とは日常の会話すらしたことがなかった。

 

気恥ずかしさも気まずさもあったことを覚えている。

 

面談は2、3回ほど行っただろうか。

すぐに行かなくなった。

 

私は知らなかったのだが、他のクラスにずいぶん早くから不登校の男子生徒が1人いたようだ。

素行不良で登校していないタイプではなく、大人しいタイプの生徒だったようだ。

まさかの不登校の先輩がいたのだ。

名前も顔もどんな生徒かも知らないし、同士としてコンタクトを取ることはできなかった。

その後、その生徒はどうしているのだろう。

 

私は初めて登校を拒否した日から1度も定時には登校せず、同級生にも会わずに中学校を卒業。

 

卒業文集に書いたものなんて、書くような思い出もないのに無理矢理書いたせいで、内容は他人が読んだらワケの分からないものだった。

いっそのこと、「中学校生活なんてクソ喰らえ」ぐらいの事を書けばよかったのだが、当時の私にはそんな勇気もなかった。

 

もちろん卒業式には出席しなかったし、卒業証書は母親が職員室に受け取りに行った。

 

私にとって中学校の卒業証書なんて全く価値がなく、どうでもよかった。

 

 

不適王

受験地獄

中学校に入った私 不適王は、学校生活、部活動、そして塾という3大ストレスフルな生活に埋没していた。

 

新生活における この3つのコミュニティ。

 

その子どもにとって意味のあるものであればよいと思う。

 

しかし、私という人間の場合においては、自分自身が全く成長できないどころか、ただ心身を壊してしまうだけの世界でしかなかった。

 

その後の人生でも、当時の環境を長らく恨んでいた。

 

しかし、学校・部活動・塾は、私の自由意思で、かつ基本的には人権を尊重されたコミュニティであり、反社会的なコミュニティに入っていたわけではなく、また私のポテンシャルの課題でもあったので、今ではさほど恨んではいない。

 

さて、私がこの中学校に入ってまもなくの頃、これまたタイミングが悪いことに、このストレスフルな状況に追い打ちをかける環境が出来上がりつつあった。

 

私には2つ年下の妹がいる。

 

誰の意向だったのか、この妹が中学受験をすることになった。

 

いわゆる受験戦争である。

 

母親はストイックに、妹の頭に詰め込む内容を、紙に書いては室内のあちらこちらの目に留まるところに張り付けた。

妹の部屋の机や壁のみならず、皆がご飯を食べる居間の机、さらにトイレの中まで、びっしりと張り付けた。

 

決して広くはない室内が、異常で異様な光景であった。

 

妹は私と違って学力が高かったので、かなりの苦労と努力をしながらも対応していたようだったが、母親が部屋中の至る所に紙を張り付ける過剰行為は、私からすれば鬱陶しくて仕方がなかった。

 

勉強そのものだけでなく、学校や塾を想起させるものは見たくなかった。

 

外の世界で心を壊し、家に帰っても心が休まる暇も無かった。

 

私は受験や受験勉強、受験戦争を否定はしない。

 

だけれども、もっと私の心理にも沿って、バランスよく精神衛生上の環境配慮をしてほしかったし、母親はそうするべきだった。

 

それまでも、その時も、私の母親 (父親については分からない) の教育は、子どもの学力だけに集約されていて、それ以外の子どもの成長や心というものに目を向けられない人だった。

 

ただし、これは親に備わった能力や社会環境に依拠するものであり、また、子どもが2人~3人と増えると、親の子育てにおける余裕が無くなることも想像ができる。

 

私が受験戦争の犠牲となったことは、今となっては仕方がないことだとも思っている。

 

 

不適王

「先生」

私にとって、学生時代の先生(教師)は、クラスの担任を受け持っているというだけの人であり、近づきがたく、親しみにくい存在であった。

 

中学校に入ってからは、教科ごとに担当の先生も配属されているのだが、どいつもこいつも(あ、失礼)、まぁ人間なので個性もあるのだけれど、私にとっては間違いなく模範や尊敬の対象ではなかった。

 

率直に言うと言動が薄気味悪い先生もいた。

 

先生との思い出など何一つない。

 

特に、私が入った中学校では変人もいた。

私が適応できなかった野球部の顧問は2人いて、サブの役割であったおそらく定年間近の顧問は、頭のイカれた教師だった。

 

その小汚ない服装や見てくれだけでなく、生徒の髪の毛にライターで火をつけたりと、今の時代であれば内部告発からの炎上ものの大問題となるような事をしでかす顧問であった。

 

私にとっては、学校の先生なんて全く無価値の存在だった。

 

困ったときに助けを乞える存在ではなかったし、学びとなる何かを授けてくれる存在でもなかった。

 

何事もニュースになる現在では、教師の恥ずかしい不祥事の報道が後を絶たない。

どれだけ多いことか。

また、私が以前お付き合いをしていた彼女のとても近しい人に学校の教師がいたのだが、その教師は奇異な言動を取り続けて家庭が崩壊した。

 

私の元彼女周辺の話はともかくとして、私は学校の先生とか教師と呼ばれる存在に対しては、敬意を示すことができない。

「教える」目的が違えど塾の講師も、しかり。

 

もちろん、広く世の中には、生徒から慕われる立派な先生がいらっしゃることも承知している。

 

私は、そもそも「先生」「教師」という言葉が大嫌いだ。

 

私の母親は「 (学校の先生でなくても) 自分よりも先に生まれた人は誰でも先生」と言ったことがあるのだが、私はどのようなコミュニティであっても、心の底からそれは絶対に認めない。

 

私は常日頃から、歳上の人、人生の先輩に対しては、敬う態度、気遣う態度を示さなければならないという立ち位置だ。

至る所で実際にそれを実践している。

 

しかし、それは相手の前提条件によって、また相手との関わりの中で変化しうるものだ。

 

自らの意思でこの人を尊敬できる、と慕うことができ、またその上で「先生」「敬うべき先達」と呼称するのであれば構わないが、他人に無条件で「私を(あの人のことを)先生と呼べ」「私を(あの人のことを)敬え」と強要するものではない。

 

私は過去にそうやって抑圧された経験がある。

 

もし私がそんなコミュニティにおける現役の生徒であったら、今の私ならば自身のスタンスを表明した上で「○○さん」と呼ばせてもらう。

それで殴られでもしたら、同等に殴り返すか、殴り返さずともしかるべき対処を取ると思う。

 

私にとって「先生」とは、そういうもの。

 

 

不適王

 

 

小学生の窃盗

日頃、お立ち寄り下さり深く感謝申し上げます。

 

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私 不適王の場合、ブログには可能な限り、自らの人生史における良いことだけでなく、悪いことも書いている。

失敗や後悔なども含めた格好の悪い姿だ。

体裁のよい事柄のみを書くということは決してしない、というコンセプトと信念は貫いている。

 

それは、第一に自分自身の心の整理のためであるのだが、もしかしたら世間に対して参考になったり、アンチテーゼになるかもしれないからだ。

 

たまたま読んだ方がどのように感じようが、はたまた私のブログから離れていこうが、それはそれでその人の自由だし、誰が良いとか悪いとか、そういったことも全く無いことなのである。

 

今回の内容は恥さらしになるかもしれない。

それをあえて分かった上で正直に書いていきたい。

 

 

私は小学校低学年の頃、他人の物をくすねたことがある。

二度やってしまった。 

 

二度とも他人の玩具をくすねた。

 

その時の事は今でも鮮明に覚えている。

 

家に自分の物ではないモノがあるので母に見つかった。

 

どちらかの時だったか、母親から伝えられた父は激昂して、私は抱えられて寝室まで連れて行かれ、革のベルトでお尻を何度も叩かれた。

私は激しく泣き叫んだが、父も怒るのは当然だろう。

 

一方で、逆に小学校の同級生らに物を盗まれたことも二度あった。

私の物を盗んだ子の親の場合は、もしかしたらそれを知らなかったかもしれない。

 

親にしてみれば、子どもが他人の物を盗むということはショックで腹も立つことであるかもしれないが、小学生の子どもが他人の物を盗んでしまう原因というのは、単純そうに見えて、実はいくつかの原因があることが知られている。

 

・自分と他者の所有物の境界が分からない

・単純に自制がきかない

・盗みを正当化する理由付けにより心理的に反社会的な盗みをしやすくする言い訳心理(中和の技術)が作用する

(例)親が買ってくれないから、盗んでも仕方ないんだ

友達もやっているから、盗むんだ

・スリルを味わおうとする

・素行障害や窃盗症などの心理的な病気

・家庭環境が原因で寂しさや情緒不安を募らせ、やむにやまれぬ心の抑圧が引き起こしているケース

言語化する能力が不足しているか、言語化して訴えても癒されないと分かっている場合

・友だちに盗み癖があって、その子との付き合いを通して物を盗むことへの罪悪感が希薄になる等

 

当時の私の心理状況を正確に探ることは困難だが、私自身振り返ってみて思うことは、衝動的に物欲に対する自制が効かない瞬間があった。

 

環境のせいにはしたくないが、うちは玩具類は皆無で、私の周りは、当時子どもに流行していた玩具が豊富にある家庭が多かった。

 

小学校高学年に入ってからは、他人の物をくすねた事は無いので、低学年の私のキャパシティでは、その環境における限界だったのだろう。

 

 

子どもに盗み癖があると気がついたら、それを改善する方向に導いてあげられるのは親だけだ。

子どもを頭ごなしに怒り責めるのではなく、親として家族として子どもに寄り添って、子どもの気持ちを読み取りながら、冷静に対処してくこと。

 

子どもの嘘や言い訳とも上手に付き合いながら、なぜ盗んでしまったのか、原因をしっかり理解することが大事だ。

 

その上で、

・子どもの立場に立って本気で叱ること

・子ども自身に謝罪させること

・子どもに親が謝罪している姿を見せること

・親子関係の改善に向けてコミュニケーションを増やすこと

・必要に応じて心理カウンセリングを利用すること

 

小学生における窃盗は何も特別なことではなく、少ないようで事例は多い。 

 

できることならば、日頃から子どもが社会のルールやマナーを学ぶ機会を設けることが求められるだろう。

 

習い事もよいが、社会の約束事が最も必要だ。

 

 

 

不適王

偏見

日々、社会では様々な事件・事故が多発していて、テレビなりネットなりで、ニュースとして目にする。 

 

そして容疑者は、顔や氏名と共に社会的属性や、ひいては生活環境なども晒される場合がある。

 

あれを見ていつも気になることがある。

 

世の中で犯罪を犯す人。

 

若い人もいれば年輩の人もいる。

男性もいれば女性もいる。

裕福な家庭の人もいれば、貧しい人もいる。

学歴がある人もいれば、無い人もいる。

性格が明るい人もいれば、暗い人もいる。

職に就いている人もいれば、就いていない人もいる。

友人がいる人もいれば、いない人もいる。

家庭を持っている人もいれば、独身の人もいる。

高収入の人もいれば、低収入の人もいる。

借金がある人もいれば、無い人もいる。

立派な肩書きの人もいれば、そうではない人もいる。

正社員の人もいれば、非正規の人もいる。

長子である人もいれば、末子の人もいる。

心の病気を抱えている人もいれば、抱えていない人もいる。

変わった趣味を持っている人もいれば、持っていない人もいる。

一風変わった人もいれば、ごく普通の人もいる。

怖そうな顔の人もいれば、優しそうな顔の人もいる。

一般的なハンサム顔の人もいれば、そうでない人もいる。

一般的な美人顔の人もいれば、そうでない人もいる。

言動が横柄な人もいれば、そうでない人もいる。

マイノリティもいれば、マジョリティもいる。

日本人もいれば、そうではない人もいる。

 

逆に言えば、これらの人は犯罪を犯さない人でもある。

 

こういった本人の外見、社会的属性や表面上に見えるパーソナリティーなどをもってして、「やはり」と決めつけることは良くない。 

 

例えば、

この前の事件の犯人は非正規の独身だった。

やっぱり非正規の独身はおかしい人が多いんだ。

職場にもいるから怖い。

 

あの容疑者とうちの子どもの状況が似ている。

うちの子がそうならないか心配だ。

 

絶対に決めつけないでほしい。

 

特に、世間一般的に、どちらかと言うとネガティブな印象をもたれやすい層の人って、いると思う。

 

でも、それって偏見なのよね。

 

それだけは絶対にやめてほしい。

 

 

不適王