不適王の再建記                  

©️2018-2024 不適王 (id:nekozebito)                                         

苦悶

私の母親は、幼少期の私に習い事を色々とさせたかったようだ。

 

幼稚園児の頃、初めてのスイミングスクールに通わされ、初日に泣きわめきながらプールサイドを逃げ回り、プールサイドに近づくと漂ってくる独特のあの香りが一時トラウマになった。

 

小学校低学年の頃はピアノ。

キノコヘア先生の無駄なスパルタが嫌で、楽器の面白さを微塵も感じれぬまま、そのうちに辞めた。

 

また、小学生になってからは再びプールに通わされた。

運動が得意でなく気持ちも弱かった私でも、今回は かろうじて小学校の6年間を続けることができた。

現場では不適応な要素が多分にありながら、今となってはよく続けていたものだ。

奇跡的な歴史の1つだった。

 

そして小学校3年生になった頃。

何も分からないまま公文に通わされた。

いわゆる学力系の初めての習い事。

 

本当に もうね、あれは苦痛すぎて仕方がなかった。

 

ひたすら分数やらの計算を、アホみたいなほど膨大な枚数をこなさないといけなかった。

これいつ終わるの?!っていうぐらいの気が遠くなる枚数。

多すぎて、妹は陰で捨てていたらしい。

 

当時の私の気持ちを代弁して言ってやりたい。

なんなのこれ?!

ここまでやらせる意味あるか?!

 

結局あれだけ莫大な量の計算を繰り返しこなしても、算数の点数なんて良くならなかった。

 

めちゃくちゃ効率が悪い。

 

当時、ファミコン(当時は最高峰のゲーム機)を持っていた。

ファミコンをやっていた方がよっぽど頭を使うし、手先も使うし、目も悪くならないわ!!

 

と言うか、あんなことよりも、当時の自分に「本当に必要なこと」が他にあった。

間違いなく、あった。

 

当時、こんなことを親に言っても まともな返事が返ってこなかっただろう。

 

周りの親がさせているから うちもさせる。

よくある そういう構図である。

 

習い事を習いたいのに習わせてもらえない人からすれば、なんて贅沢なのだろう、と思うかもしれない。

 

根気や我慢をする訓練になる と言う人もいるかもしれない。

 

だが、私にとっては全く意味がないものであった。

 

習い事1つとっても、それをしばらくやってみて、自分には合わない、これは無理だ、意味や達成感を感じない、面白さを感じない、と思ったら、辞めることのできるパスを子どもに与えてやること。

 

親はそういう子どもを見ても絶対に嫌な顔を見せないこと。

むしろ「よく頑張ったな!」というくらいの気概を見せること。

 

だってそうでしょう。

 

親だって何でも完璧にできるのか?

 

そんな人間ばかりではないでしょうよ。

 

そして学校のカリキュラムができただけで立派な人間になるとは限らないでしょうよ。

 

まぁ、私はどっちみち大した人間ではないけれどね。

 

 

『一等星☆』

 

 


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不適王