不適王の再建記                  

©️2018-2024 不適王 (id:nekozebito)                                         

日頃ありがとうございます。

 

今日は私自身の経験に基づいたことを書かせて頂きます。

エッジが効いている内容となっておりますが、どうかご理解、ご了承下さい。

 

タイトルにもあるように「嘘」というものについてです。

 

傷つけない嘘、嘘も方便、という言葉を軽く掲げる人がいますよね。

だから良いのだと。

何が問題なのだと。

 

当然、嘘をつかれた側の人間が傷つかなければよいです。

しかし全てが必ずしもそうなるとはかぎりません。

 

その結果、希に甚大な精神的被害を被る場合もあるからです。

その場合は、優しい嘘、傷つかない嘘、嘘も方便、にはなりません。

 

嘘そのもではありません。

 

結果、相手がどうなったか?

意味はあったのか?

そこに何があったのか?

そこに何を見たのか?

 

ということが最も重要なわけですが、それは受け手の主観を伴う結果です。

嘘を方便として使った方の主観が入る余地はないということです。

 

そこに全てがあります。

 

同じ嘘でも、たとえ相手のことを想った上でも、

それは一方的な押し付けというものも存在します。

正義の押し付けというものが希に存在します。

それを知らないことは極めて危険です。

 

柔らかく優しい嘘と、受け手が後を引きずるトラウマティック ストレスな嘘とでは、全く次元の違うものなのです。

その柔らかい嘘の背もたれに もたれかかって言い訳する人は、脆弱で思慮が浅い人です。

 

私の経験上、真に相手のことを思っているならば、向き合う気持ちがあるならば、嘘という手段は極力使いません。

日常から嘘を方便として使いやすい人、正統性を主張する人は、実は危険をはらんだ人だと私は思っています。

 

軽すぎます。

これは決して楽しい話ではありません。

 

体罰と酷似しています。

体罰もほかの手段が面倒だから利用します。

同時に、それは自らの指導者としての力、また調整力がないと言っていることに等しいのです。

 

海外のスポーツの現場では、基本的に体罰というものは存在しません。

日本古来の悪しき風習であり、嘘も方便という古来よりの格言との親和性、暴力性、冷酷性を感じずにはいられません。

 

また合わせて、嘘も体罰も、最も重要な共通ファクターとして、相手との信頼関係の有無、ということも書き加えておく必要があります。

 

これは、私自身への戒めでもあるため、書かせて頂きました。

 

私も世の中もより良くなりますように。

 

 

不適王