日頃ありがとうございます。
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かなり昔、一度だけ、1月か2月に滝修行なるものへ行ったことがある。
所感を簡潔に述べると、
極寒。
無意味。
非科学的。
結局、ヒドい思いをしただけで、行っても何にもならなかった。
その時に撮ってもらった写真をあとで見たら、顔も唇も青紫色、私の苦悶の表情と言い、自分の顔を初めて死人の顔だと思って驚いたことが深く印象に残っている。
私が苦しんで死んだ時はこんな顔をしているのか、と思わされたものだ。
それほどの苦痛であった。
ちなみに、その時は私の意志に関係なく強制的に参加させられたものであった。
滝修行ならぬ滝体罰である。
少なくとも、ああいうものは人に無理やりさせたり、させられるものではない。
自ら意図をもってトライしてこそ、意味のあるものであり、身に付くものである。
当然のことである。
そのアンチ滝修行の私が、この冬、ツアーにトライしてみようと頭をよぎったのである。
考えられないことである。
そんな経験をしてまで、なぜそんなことを思い立ったかと言うと、やはり余裕を持った状態で、かつ自分の意志で取り組んだ場合に、滝修行がどれほどの充実感を伴うのだろうか、というものを知りたくなったからだ。
長年、私はトレーニングジムで、自分のメンタルヘルスや健康のために、黙々と並の他人よりもずっとハードにトレーニングを継続している自負と強みがあるので、今の私はハッキリと言って滝修行ごときに臆するところは全くない。
ただ、唯一気になる点は、自分の意志に反して、万が一脳梗塞や心筋梗塞を患っては、何をしに行っているのか分からない、という点だ。
まさしくあの時のヒドイ顔の死体になるかもしれない、毎年 真冬の登山の遭難ニュースを見て (またかよ、こんな時に…) と思っている自分が、まさかの雪が積もる山中の滝壺で溺死、ネットニュースに掲載、なんて全く笑えない。
あくまでも非科学的な滝修行に対する疑念を払拭できなかったので、数週間、これを悩んだわけである。
その結果、滝修行にトライすることは断念した。
やはり何度考えても、個人的には賢明な判断であると思った。
なんでもかんでも挑戦すればいいというものではない。
挑戦することは、来年からの新規の仕事もある。
私よ、なにかと根気よく挑戦し続けているではないか。
なにも雪積もる山中の中で滝に打たれなくてもいい。
不適応が多い半生だけれど、これからも自分を応援してあげたい。
そして、難しいことがあっても、こんな心根の兄さんがいたらカッコいいなぁ、という人に、自分がなろうと思う。
皆さま、良いお年を。
不適王